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東京高等裁判所 昭和30年(行ナ)39号 判決

原告 武田薬品工業株式会社

被告 特許庁長官

主文

特許庁が、同庁昭和二十九年抗告審判第二五八四号事件につき昭和三十年八月三日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被告指定代理人は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求めた。

原告訴訟代理人は請求の原因として、

一、原告は昭和二十五年十月九日特許庁に対し「耐久性ビタミンB1含有注射液の製造方法」の発明につき特許出願をしたところ、昭和二十九年十一月三十日に拒絶査定を受けたので、抗告審判の請求をし、同事件は特許庁昭和二十九年抗告審判第二五八四号事件として審理された上、昭和三十年八月三日に右抗告審判請求は成り立たない旨の審決がされ、その審決書謄本は同年八月十一日に原告に送達された。

二、審決の理由の要旨は本願発明は同一出願人の特許第二〇七七七三号の発明と同一であり、本願発明に特許権を附与することは特許法の精神に反するものと認められると言うにある。然しながら右は次の理由により不当である。即ち、

(1)  本願発明はその明細書の記載により明らかな通り「ビタミンB1又はこれを主剤として含有する注射液中にチオ尿素及びチオ尿素以外の還元性物質の両者を共に含有させる耐久性ビタミンB1含有注射液の製造法」である。然るに審決の引用する特許第二〇七七七三号発明の要旨はその明細書の記載から明らかな通り「ビタミンB1又はビタミンB1を主剤として含有する注射液にチオ尿素を含有させることによりビタミンB1含有注射液の沈澱着色を防止する安定なビタミンB1含有注射液の製造方法」であつて、之を本願発明と比較するに、本願発明を構成する要旨をなす「チオ尿素以外の還元性物質を注射液中に共存させる」と言う発明思想は引用例の発明思想中に存在しない。即ちチオ尿素以外の還元性物質を添加する本願発明の効果、目的はチオ尿素の分解を防止するにあり、そのような目的、効果を対象とする本願発明は引用特許の明細書中に見られないのであつて、このような発明が引用特許の出願時に完成されていたものと考えることはできない。審決は両発明の実態についてその差異を看過した結果、誤つて両者を同一発明と判断したものである。

(2)  審決は又その理由として「引用特許がビタミンCを含有するビタミンB1の複合注射液を包含することがその明細書から明らかであり、又本願要旨と引用例の発明とを比較してみるに、還元性物質としてビタミンCを使用する場合は引用特許発明においてビタミンB1・Cの複合注射液を使用する場合と何等差異がない。この点において両者は同一発明というべきである」と説いている。然しながら二つの発明の同一性を考える場合に明細書中の引例、実施例、発明の詳細な説明等の例示的な記載のみを以て判断することは失当である。ある点に於て一致する具体例があつても、その事実から二つの発明が全体において同一であることにはならない。

本願発明はビタミンCを複合注射剤の目的で使用すると言うことにあるのではなく、広く還元性物質をチオ尿素と共に使用することにある。そしてその明細書には具体的に使用し得る還元剤として亜硫酸ソーダ、ロンガリツト等、引用特許に全く示されていないものを例示している。仮にビタミンCを使用した場合に本願発明が引用特許の実施例と一致しても、之は両発明を同一ならしめるものではない。同一発明とは二つの発明思想が全く重なり合う場合のことを言うべきであつて、発明思想が一部において重なり合う場合、或は単に発明思想に基く実施例のあるものが重り合うに過ぎない場合、之等は同一発明ではない。而してこのような場合の存することは特許法第四十九条に他人の特許発明を利用しなければ実施できない別の特許発明につき規定していることによつても明らかである。チオ尿素以外の還元剤として特にビタミンCを使用するという本願発明の一実施例が引用特許の明細書に書かれてあるとしても、それは発明が実施されたある場合に於て発明実施の態様が重なり合つていることを示しているに過ぎない。而も引用特許はその明細書記載の請求の範囲により明らかな通りビタミンC又はそれ以外の還元性物質を加えることを発明必須の要件としていないのである。従つて審決が引用特許及び本願発明の各明細書の記載の各一部のみを根拠として両発明が同一であると判断したのは誤つている。

(3)  特許権は特許権者の意思に反してその発明が第三者により実施されることを排除し得る権利である。今もし本願発明が登録され特許権の効力が発生したとして、その場合に、第三者が特許権者の意思に反し、ビタミンB1にチオ尿素のみを添加した注射剤を製造販売した場合を想定するに、本願方法はビタミンB1又は之を主剤として含む注射液にチオ尿素及びそれ以外の何等かの還元剤を共に含有させる方法を発明の要旨とし且特許権の内容とするものであるから、その発明の必須要件の一つを欠くところのビタミンB1とチオ尿素のみから成る注射剤の製造に対し、之を排除することは不可能である。然るにビタミンB1とチオ尿素のみを使用する注射剤の製造業者は、その製造を引用特許権の侵害行為として排除されるのである。即ち引用特許と本願方法とは権利として行使した場合に明らかに異なるものである。同一の行為を一方の特許権を以て排除し得るが、他の特許権を以ては排除し得ないのに、両者同一発明であるとして、その一方の特許あるが故に他の特許出願を拒絶することは不当である。

三、よつて原告は審決の取消を求める為本訴に及んだ。

と述べ、

被告指定代理人は答弁として、

原告の請求原因事実中一の事実を認める。

同二の主張は之を争う。即ち

(1)  引用特許明細書にはチオ尿素の他にチオ尿素の還元性物質を添加することが文字通りには記載されてない。しかしチオ尿素の外にチオ尿素以外の還元性物質の一種であるビタミンCをビタミンB1と共含させることが発明の内容として頗る詳細に記述されている。更に右特許公報によれば引用特許発明にはビタミンB1溶液はこれにビタミンCを添加した場合は然らざる場合に比し、チオ尿素のビタミンB1に対する安定化が増強される実験が示されている。即ちこの引用例は結果に於てビタミンCの作用が薬効のみでない事実及びこの事実をも発明の内容として含むことを示すものであつて、ビタミンCの作用効果に関する限り説明の仕方が積極消極の差異はあるが、チオ尿素の対ビタミンB1安定化作用を主とし、薬効を副とする本願発明と、実態に於て大同小異と言わざるを得ない。従つて審決が本願及び引用特許の両発明の実態についてその差異を看過したとする原告の主張は根拠のないものである。

(2)  原告が請求原因二の(2)として主張するところは、「発明の要部に於て部分的に同一点があつても発明の要旨中他の部分に差異があれば同一発明とは言えない」と言う一般論を本願発明に適用しようとするものと解される。要旨に於て同一点があると言うことは二発明の一がその部分として他の発明と同一の思想を含んでいることを意味する。このような二発明が先願後願の関係に立つた場合に両特許出願を容れたならば、同一事項を要旨として含む複数の権利者が生れ、形式上は兎も角として、実質的に最先の出願者に限り特許すべきものとする特許法第八条の精神に違反する結果となるべく、特許法はこの実際に生ずべき欠点を救う為明文を以て特許出願の分割訂正をなし得る制度を設けているのである。原告主張の一般論は発明の生態を無視したものであつて、之を本件特許出願に適用することは失当である。尚審決では敢て亜硫酸系等のビタミンC以外の還元剤について論述していないけれども、亜硫酸系等の還元剤の選用が特に発明には値しない。何となれば亜硫酸水素ナトリウムが代表する之等ビタミンC以外の還元剤はその小過剰によつてビタミンB1の安定化よりも寧ろビタミンB1に分解作用を及ぼすものであり、又チオ尿素のように酸化され易い物質の酸化分解を防ぐには之等亜硫酸系の還元剤を添加することが当り前であるからである。

(3)  原告の主張を要約すれば、引用特許と本願発明とが全然合同でなく、両者に喰違いがあれば特許すべきであると言うことになる。然しながら本願発明の要旨中最も重要な部分が引用特許の要旨中に含まれていることは明らかであつて、即ち引用特許公報の特許請求の範囲に「ビタミンB1を主剤として含有する溶液」と明記され、且主剤としてビタミンB1の外に他のビタミン剤としてビタミンCを使用することがその発明の詳細な説明の項に記述されてあつて、引用特許発明を標準として見ればその中に本願発明の要旨の重要部分が含まれていることが明らかであり、このような場合両発明は同一性を有するものとしなければならない。(尚被告のこの主張は本願発明の思想中に引用特許発明が含まれていると説明するものではない。)

結局審決の判断は正当であつて、原告の請求は失当である。

と述べ、尚後記原告の発明の実施態様の同一性は権利の同一性と無関係であるとの主張に対し、

一般には両者は無関係のこともあるが、本件の場合無関係であるとは言えない。何となれば本願特許請求の範囲に「又はビタミンB1を主剤として含有する注射液」なる記載があり、実施例中には之と符合するB1以外のビタミンとして、ビタミンCが使用されてあり、両発明共にビタミンCの使用を権利の内容としているからであつて、もしビタミンB1のみであつたら「又は云々」なる記載はない筈である。

と述べ、

原告訴訟代理人は被告の答弁に対し、

(一)  仮に本願発明に被告主張のように亜硫酸水素ナトリウムの小過剰によつてビタミンB1が分解する欠点があるとしても、それが両発明が同一であるとする論拠とはならない。即ち先行技術と各種の面で劣るが少しでも異つた効果が存在すれば、先行技術と別個の発明として特許すべきであるばかりでなく、本願発明と引用特許発明との関係のように、後願の発明が先願の発明より本質的に異つた他の(本願はチオ尿素の分解を防止し、引用特許はビタミンB1の分解を防止する)利点効果がある場合、他の面における(チオ尿素の分解防止手段がビタミンB1の分解を招く)僅かな欠点の為に先願発明と同一発明と断ずべきものではない。新しい技術が既知技術を越えた発明であるか否か、即ち発明の存否を判断する場合に、新しい技術の効果如何が考慮されるべき場合のあることを否定できないけれども、効果如何によつて特許請求の範囲記載の必須要件の如何に拘らず、発明を同一のものとしたり、異つたものとしたりすることは妥当でない。

(二)  本願発明と引用特許発明とは設計変更乃至均等物代替という点を考慮しても同一発明であると言い得る根拠はない。実施例に於て同一内容の記載があつても、それは実施の態様が同一であつた場合のことであつて、権利の内容の同一性とは無関係である。尚本願は引用特許とはその権利を使用する関係にあることは疑がないけれども、その故に両者を同一発明とすべきではない。

(三)  本願発明には被告の指摘するような意味の欠点は存在しない。即ち本件特許出願の実施例(2)における被告指摘の亜硫酸水素ナトリウムにより分解されるビタミンB1の計算分解量は一ccの注射薬とした場合一六〇ガンマーであつてビタミンB1五〇mgに対し約三二五分の一量(ビタミンB1の分解率は約〇、三二%)に過ぎず、これは殆ど問題とするに足りない数値であつて、製剤技術上無視して差支ないと言つても過言ではない。亜硫酸水素ナトリウムはビタミンB1に対し分解的に作用するが、微量の添加を以て充分目的を達し得るのであるから、その目的の範囲内の亜硫酸水素ナトリムの添加のビタミンB1への影響などは無視しても差支ないのであつて、之を以て被告主張のような欠点とすべきではない。

と述べた。

(立証省略)

理由

原告の請求原因事実中一の事実は被告の認めるところである。

成立に争のない甲第一号証(本願明細書)によれば本願発明の要旨は「ビタミンB1又はこれを主剤として含有する注射液中にチオ尿素及びチオ尿素以外の還元性物質の両者を共に含有させることを特徴とする耐久性ビタミンB1含有注射液の製造方法」であり、右にいわゆる「又はこれを主剤として含有する注射液」とはビタミンB1の外にビタミンCその他のビタミンを含有する複合ビタミン注射液であり、又「チオ尿素以外の還元性物質」とはLアスコルビン酸、dアラボアスコルビン酸等のアスコルビン酸類及びその塩、亜硫酸、亜硫酸水素ナトリウム、亜硫酸ナトリウム、ロンガリツト等の還元性物質を指称するものであること、尚右明細書ではチオ尿素はビタミンB1溶液の沈澱、着色等を防止し、又チオ尿素以外の還元性物質はチオ尿素の光分解を防ぐ作用がある為両者相まつてビタミンB1溶液を長期間に亘つて安定ならしめる効果がある点が特長として挙げられていることが認められる。

次に成立に争のない甲第二号証の二(引用特許公報)によれば、引用特許発明の要旨は「ビタミンB1又はこれを主剤として含有する溶液中にチオ尿素を含有させることを特徴とする安定なビタミンB1含有溶液の製造方法」であり、右にいわゆる「又はこれを主剤として含有する溶液」とはビタミンB1の外にビタミンCその他のビタミン等を含む複合ビタミン溶液であること、尚右明細書ではチオ尿素はビタミンB1溶液の沈澱、着色等を防止してこれを安定に保つ効果を有する点が特長とされていることを認めることができる。

よつて本願発明と引用特許発明とを比較するに、両者はビタミンB1又はこれを主剤として含有する溶液(注射液)にチオ尿素を含有させてビタミンB1溶液の沈澱、着色等を防止するようにした点で共通であるけれども、本願発明では引用特許のように単にチオ尿素のみを加えただけではチオ尿素が光分解され易い欠点があるので、之を防ぐ目的でチオ尿素の外に更にチオ尿素以外の還元性物質をも共に含有させ、之によつて引用特許発明に比し、より耐久性ある安定なビタミンB1注射液を得られるようにしたものと解すべく、この点で本願発明は引用特許発明とは異る発明構成要件を具えているものと言うべく、従つて両者は同一発明ではないと言うべきである。

もつとも前記の通り引用特許発明において「ビタミンB1を主剤として含有する溶液」としてビタミンB1の外にビタミンCを含む複合ビタミン溶液を用いる場合に、このビタミンCは本願発明に於て還元性物質として挙げられているLアスコルビン酸と同一物質であるから、両発明がその実施態様に於て互に区別し難い場合が起り得るものと認められるけれども、引用特許発明に於てビタミンB1の外にビタミンCを共存せさることは、その目的とする前記のビタミンB1溶液の沈澱着色を防止する効果と直接の関係がなく、従つてその発明の構成上の必須条件とは認められないから、右のような引用特許発明の一実施態様と本願発明に於て必須の還元性物質としてビタミンCを加える場合とが、偶々区別し難い場合が起り得ても、之を以て両発明が同一であると解すべき根拠とすることはできない。

以上要するに本願発明は「チオ尿素の外にチオ尿素以外の還元性物質を共に含有させること」をその発明構成上の必須要件としている点で引用特許発明とは異る別個の発明とすべきであり、審決が右に反する見解の下に本件特許出願を拒否したのは不当と言わなければならない。よつて之を取り消すべきものとし、民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決した。

(裁判官 内田護文 原増司 高井常太郎)

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